【500回】生い立ち、語りますSP【GW企画】

自己紹介
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このBlog……というかWebサイト、2001年2月1日開設でした。そこから、手を変え品を変え、名も変え形態も変え……と21年続いています。奇跡!最初の頃は、Blogなんてなかったので、HTML手打ちでほぼ毎日更新。ただのニュースリンク集みたいな更新の日もあったし、実際は書いたけど消したり、mixiの日記だけで消えたネタとか、サーバー移行時に「こりゃ暗い……というか、ただの病み文だ」と消したエントリもあるので、厳密に500エントリ残っているわけではないのですが、今の形ではコレが500エントリ目。書いてもすぐ消費されるTwitter全盛の時代によく続けたもんだ。

続いたコツは「友達を作らない」これですね(酷い)。同じジャンルの友達がいると、TwitterやLINEで感想とか送り合って消化しちゃうから!サッカーとかの試合後も飲み会で消化しちゃうから!何もないのでここに書き続けているだけです。さぁ、みんなも友達と縁を切って、Blogを書こう!!ウソウソ、友達大事。超大事。色々と調べてみたら、友達居ないと病みやすいらしいよ。精神的に。多いのも病むけどw上手いバランスで生きていたいんですが、人間関係無いしなぁ……。こことTwitterだけに吐き出していきますw

そんなわけで、今回の500エントリ目特別企画はひきまは。さんの生い立ち、ほぼすべて語りますスペシャル。皆さんの想像通り、暗いです。半分以上、暗いです。これから書くけど、暗いの確定ガチャだもの。やだよ、そんなソシャゲのGW施策……

幼少期編

乳児期、幼児期ですが、定期検診でも異常なしとされてました。オールグリーン。しかし、実際は発語が遅く、脚部にも不安あり……と、実際は異常ありますやん状態。父はもうこの世に居ませんが、母から聴いた話では、今で言う発達外来に通ったり、脳波取ったり、話せるようになるクリニックに通っていたそうです。「この時点で、発達障害確定やんけ!」と、発達障害児を育てて自らも発達障害と診断された身では判るのですが、昭和50年代中盤にそんな診断やら、判断ができる環境があるはずもなく。「ちょっと変な子」あたりの扱いで育っていったようです。覚えてる範囲だと
・男の子同士で遊ぶのは苦手
・ロボットアニメや特撮ヒーローには興味なし
・好きだったのは鉄道と銀河鉄道999のアニメ
・ご近所さんが女の子ばかりだったみたいで、遊びはおままごとが定番
・キリスト教系の園に通院していて、クリスマス前に足を怪我して劇に出られず
・公立の幼稚園に入園するも、知らない人だらけの中でコミュニケーション取れず(特に同性)
・先生からも「変な子」としてマークされていた模様
あたりか?で、個人的には人生前半の暗黒期と言える小学生編に突入するわけですね。

小学生編

住んでいた家の関係で、幼稚園から人間関係が今で言う完全リセット。これがいい方向に行けば良かったのですが……実際は問題だらけ。まずは、小学校近くにある私立幼稚園からの児童が多かった。それで、既に人間関係が形成されていた。次に、今では考えられないのですが、自分でも「自閉症かな?」と思う児童を通常学級に入れる→一部児童からいじめの対象になる。そして、事件は1年生の5月に発生します。

給食費を学校へ持っていく日が有りました。というか、子供にとって大金を持たせて行くというのも如何なものか?と思うのですが。で、案の定ドラマのように集金したらお金が足りない。学級裁判です。担任は言います「お金を取った人は手を上げなさい」。手を上げるやつなんて居ないし、上げたら怒られます。数十分後。何故か、早く帰りたかったワイ氏は手をあげます。「僕が取りました。」もちろん取ってない。早く帰りたいだけ。あと、みんなを早く帰らせてあげたいだけ。自分が怒られればいいだけ……その考えが勝つんですね。長年、この事件でこういう考えに及んだことが謎だったのですが、発達障害の特性にあるみたいですね。異常な自己犠牲。

これがきっかけが知りませんが、小学校の6年間いじめ続けられました。教室の椅子には画鋲が仕掛けられるし、上靴は隠されるし、体育館シューズもなくなるし、体操着もなくなります。教科書がない日もありました。ノートも破り捨てられました。トイレや渡り廊下に閉じ込められる日もありました。家から学校まで、2回歩道橋を渡る通学路だったのですが、毎日の往復、飛び降りたいと思ってました。楽になりたくて。今で言う希死念慮ですね。でも、「親ぐらいは悲しむか……。自分が耐えればいいか……。」と毎日必死に生きてました。あと、1年生の頃はキレやすくてよく暴れてた。今思えば自閉の症状ですね。怒りたいけど、言い返せなくて行動しちゃう。コレが面白がられて、更にいじめられてた。

楽しみは学校から帰ってからのテレビ……だったのですが、「学校でいじめられるのは、弱いからだ。礼儀作法も教えられるだろう。」と親は空手教室に通わせます。週2回。夜のお楽しみが2日消失。更に、空手教室では上級生からもいじめられ、学校では「空手やってるから、反撃してこないやつ。」とされ、殴られたりするのは当たり前。ランドセルは、蹴られたりしたので4年生の頃にはボロボロで使えなくなりました。そして、4年生のある日、公園で遊んでいると15人ぐらいに囲まれて「こいつ、空手やってるから反撃してきませんよ」「殴っても平気ですよ」とか言われて、集団リンチ受けた。ひたすら殴る蹴るの暴行を受け、最後は袋に詰められて、階段を突き落とされた。歯、折れたよ。でも、親には言わなかった。親に言うと「親に言いやがった」→「もっといじめてやろう!」になるから。ちなみに、いじめてる割には家までやって来るし、キン肉バスターとか食らうし、親の金は盗まれるし(1万円ぐらい)、犯人らしき親に母が聴いたら「盗られるところに置いてる方が悪いでしょ?」とのこと。完全に警察案件です。そんな感じで、死にたいのに死ねない、辛すぎる小学生6年間を過ごしたのでした。この怒りや屈辱に耐える経験が、大人になって更に悪い方向に誘うのですが、それは後ほど。

中学生編

もう少し、周りも成長するかな?と微妙に期待したのですが、いじめてくるメンバーが増えただけでした。ありがとうございました。今度は、階段を降りてたら後ろから突き落とされたり、池に突き落とされたり、弁当に消しゴムかすを入れられたり、数人に押さえつけられ足をライターで燃やされたり。軟式テニス部に入ったのですが、練習らしい練習は出来ず、サーブの標的。痛すぎて、何度もサボりました。もちろん、大会で負けたら全部ワイ氏のせいです。後、何度も怪我して病院に行ってた。小学校の時のいじめられる経験があったのと、「あと最大3年耐えれば高校だ!」のモチベーションだけで、通ってた。あと、これは小学生の時からだけどテレビとテレビゲーム。これがあったから生きてこれた。カセット、何本も盗まれたけど。

空手は小学校卒業ぐらいで辞めて、学習塾へ通うことになりました。週3日ぐらいかな?ここでもいじめられた。理由はよくわからないけど、女子の塾生と仲良くしてたのが気に食わなかったらしい。バカじゃないの?つい最近まで、切りつけられた痕、残ってたぞ。

高校生編

結局、中学をまぁまぁの成績で抜けることが出来、地元の公立高校へ。高校デビューだ!……の矢先、小4の時に拾って飼っていた愛犬が目の前で車に轢かれ死ぬ。2週間ぐらいロスっているうちに、授業にはついていけなくなりました!1年1学期の中間テストから赤点連発。

ただ、今までいじめてきた連中は尽く地元の公立高校には来ず、まさにパラダイス。乳児期以来……ってぐらいに、好き勝手生きていました。色んな部活に顔を出し(結局部活4つ掛け持ち)、アニメやマンガにも本格的にハマり、仲の良い友人も出来、それなりの高校生生活を送ることが出来ました。ありがとう、高校3年間。

勉強はからっきしのままで、進学希望なのにいわゆるFラン大学からもお断りを頂き、高校入学祝いで買ってもらいハマったパソコンを本格的に学ぼうと、急遽コンピューターの専門学校へ行くことになりました。それもこれも、受験生に一番重要な3年生の夏に甘酸っぱい恋(リアル)と、片桐彩子との恋(2次元)にハマったからですね。勉強そっちのけ。いや!2人は悪くない。1年の時からちゃんと勉強していれば……。

専門学校生編

そんなこんなで、梅田の外れの某専門学校へ入学。自分で言うのもなんですが、新しい環境ですぐにコミュニティー構築できるのは、特殊能力の一つじゃないですかね?精神状態が万全な状態の時と、趣味絡みのときだけでしか発揮できないのですがw

専門学校なので2年間なのですが、本当に楽しかった!勉強も面白いし!コンビニの物流センターでのバイトも楽しかったし!もちろん、クラスメイトとの付き合いも楽しかった!……その割には、取らないといけない第二種情報処理技術者試験(当時)は2戦2敗。真面目な勉強は苦手だ!!好きな物はアホみたいに覚えて、歩くWikipedia状態になるぞ!w

就活もなんか中途半端にやって、ロクに調べずに応募した会社に入った。これが……悪夢の始まり。あと、父が就活中に脳梗塞で倒れて今で言う要介護。家の中、大混乱。

社会人編①

新卒で入った会社、朝5時に出社。夕方開放だと思うだろ?20時ぐらいまで働いてたぞ!どブラック!すぐに自家用車通勤になったのですが、駐車場が縦長。奥に車を停めたら最後で、いつまで経っても帰れない。前に車を停めてる人が社内に居ないから。何処に居るかと言えば、近所のパチンコ屋……。タバコ臭い中、先輩を探し「帰りたいので、車動かして下さい」→「自分で動かせ」→運転が未熟でこする→正座させられ「どうやって責任とんねん?あ?」(そこの社員、大体ミナミの帝王とか大好き)

ワイ氏は病む一方だし、父は病状が悪くなるし、母は介護疲れだし、相談できないし、「仕事とは、社会人とはこういうのに耐えるもの」と小学・中学時代の経験が生きてしまい、ギリギリまで働く。48時間連続労働という「労基……とは?」という勤務の末、辞める決断をしたら父はあの世へ旅立ちました。

少し休んで、専門学校のつてでシステム開発会社に入る。が、最初の職場で働いた2年半、プログラムを何も触ってなかったワイ氏は、社内開発事業には参加させてもらえず、派遣で色々な職場へ行くことへなるのであった。最初の現場は警察の信号機情報の調整。暖房が効きすぎて眠かった記憶しかないw

一旦、社内開発に戻ったのですが、メンバーと反りが合わず、再び派遣へ。今度は京都で学校のパソコン教室納入がメインの販売会社でWindowsベースのシステム開発。前任者が有能すぎたので、苦労し続ける。通勤時間が1時間30分ぐらいかかるのですが、その道中はひたすら読書やゲームボーイアドバンスや出たばかりのMP3プレイヤーで音楽鑑賞。あと、サイト開設した後なのでノートPCでサイト更新とか。ただ、社員が皆、家に帰りたくない民でいつも22~23時ぐらいまで残さられる。帰ろうとすると「え~、帰るの?」攻撃。9.11も阪急の終電が無くなって、職場から京都駅へのタクシーの中で知ったわ。

その頃から、サッカーを中心に人脈というか知り合いが増えていく。オフ会も各地で開催され、毎週のように西へ東へ。それはそれで楽しいんだけど、今思えばストレス解消の手段だったのね。もちろん、知り合いが増えれば揉め事も増える。最初は楽しかったのに、最後はあっけなく。人の繋がりは崩れるし、胃の不調から始まり、体調不良が増えていく。結局、職場で自傷行為して強制終了ですよ。この頃、パニック障害→うつ病(たぶん)と診断される。

社会人編②

また、ちょっと休んで別職場へ派遣。薬を飲みすぎて前後不覚になったり(よく無事に帰ってきったな)、更に別の職場に移っても、自家用車で友人乗せて夏コミ行ったら、途中でパニック起こして運転できなくなったり。常に体調不良と隣合わせ。病院に行きたくても、総合病院だったので開いているのは平日午前中のみ。しかも建物の奥の方でホラー感バッチリ。行きたくなかったなぁ……

何やかんやで5年近く勤めた会社を辞めて、すぐにパソコン出張修理の会社へリクルート。もちろん病気の事は隠す。メイド喫茶行きまくったり、出張のついでにゆかりんのコンサート見たり国立で代表戦観たりと好き勝手するも、翌年には見事に体調悪化。忘れもしない、ヴィッセル神戸の「これ負けたら自動昇格危ない」とJ2なのに15,000人ぐらい入った試合に駆けつけたはいいものの、試合内容は覚えてないし、ただボーッとしてて、「なんでここにいるんだろう?」と思った時は、危ないなぁ……と思った。その後の入れ替え戦第1戦は行ったけど、この試合も記憶に残ってないし。福岡での第2戦はテレビで観てて、昇格したのに何の感情も湧かず。翌年の春頃には復調したけど、何だったんだろう。

大仁田厚もびっくりのコミケ参戦辞める辞める詐欺を続けて、2009年1月に結婚。めでたいはずなのに、責任感が仇となり、同居開始4ヶ月でブッ倒れ、休職。短期で復帰するもやっぱりダメで、その年の11月に強制退職。2010年は1年間休養に当てるも、回復の予兆すら見られず。不安なまま、2011年へ。

社会人編③

2011年に入り、前職での傷病手当もなくなり、妻氏の収入に完全に頼ることに。何とか働かねば……!と、一念発起し障害者手帳を取得して障害者雇用を目指しました。手帳は2級、診断名は双極性感情障害Ⅱ型でした。当時、35歳のおっさん精神異常者を雇う会社があるはずもなく、就活は難航。1年近くかかり、ようやく最低賃金の時給で働けるところに就職した時には、息子氏が生まれていました。

安月給だったので、「せめて、世間で認められるイクメンを目指さねば!」と謎の使命感に燃え、色々と手伝いました。深夜のミルク作りとか、沐浴とか。頑張ったけど、住んでる部屋の家賃が払えなくなて、実家の隣にお引越し。家賃は半分になりましたが、嫁姑問題というのに対処することに。あと、母の孫甘やかせ作戦も対処したな。熟睡できなくなり、職場で寝る日々。仕事を評価されることはなく、給料も上がらず。そりゃそうだ。

再び一念発起して、再びコンピューター系の派遣業へ。今回の職場はデータ入力とグループ内限定コールセンターが半々といった所。最初の管理者が合わず、どうなるかと思いましたが半年もせず産休に入り、代わりに来たのは薄い本事情が判る女性……というわけで、一気に働きやすくなりましたw

ところが、その頃にやってきた派遣社員さん(女性:50歳ぐらい)がやたらと幅を利かすようになり、社長(高齢女性)と直でやり取りして、ワイ氏へ嫌がらせを。電話を取らないとか仕事が遅いとかある事だけでなく、無いことまで言い出して、嫌気がさして辞めました。ここを耐えていればよかったのですが、思い返しても仕方なし。耐えても精神病むし。

社会人編④

高収入を目指して、将来性のあるドライバー業へ。まずは軽トラックでの配送業。社風や仕事内容は良かったのですが、当初の約束と違う給与面で不信感を感じてしまい、1年ほどで退職。この頃、クレカの支払いやら、カードローンで首が回らなくなり、任意整理。借金払わないといけないので、高収入の会社へ転職。近年の間違い、その1。

そこは月収30万円の代わりに週6日勤務で夜勤だったのです。帰ってきたらお昼だし、寝られないし、寝れた頃に息子氏が帰宅するし、夕食の準備しないといけないし、息子氏風呂に入れたら出社時間だし、仕事はハードだし。もちろん1ヶ月で精神破壊。2ヶ月で勤務不能状態になりました。休職させてもらって、2ヶ月休む。昼勤務を条件に復帰するも、結局、長時間勤務は変わらず。最後は週7日勤務(朝4時出社。理由は管理職がゴルフに行くから)にされそうになったのを、妻氏が止めさせて退職。

辞めると身体が軽くなったのですが、病院でようやく発達障害と診断される。それはともかく、履歴書に書く転職歴がエグくなってきたのと、仕事量を調整する必要性を感じたので就労移行支援事業所を探して11月から通所開始。条件は早期の障害者求人での就職。しかし、世はコロナ禍真っ最中(2020年の出来事です)。40歳オーバーの精神異常者を雇うバカな企業は無かったのです。一度、面接で「ウチは身体障害者しか採りません。精神障害者はすぐ休むし、使いものにならないので」と言われて、就労移行のスタッフさんと半泣きで帰りました。だったら、求人出すな!バカ!!

就労移行、昨年度の収入から利用料負担が出るので30万円の月収が足かせとなり、3ヶ月で辞めることに。無職無収入に毎月1万円弱はキツすぎる。その結果、妻氏から「とにかく働いたら」と言われ、トラックドライバー職に応募→即採用。これが、近年の間違い、その2。

OJTで先輩と同乗するんだけど、その先輩社員ととにかく反りが合わない。で、指示が口頭なので仕事を覚えられず(発達障害の特性)、仕事が遅く(発達障害の特性)、わざとシートベルトをしないで仕事をすると早いと褒められ(発達障害の特性で正義感が強いので反発します)、遂には仕事中にパニックを起こし、診断書貰って休職→退職。

すると、息子氏(9歳)が自分が通っている放課後等デイサービスの法人が人手不足なので働かないかと、話を通す。精神障害者手帳を提示した上で、社会福祉法人で勤務開始。近年の間違い、その3。

社会人編⑤

一通り研修を終えて、デイサービス利用者の送迎業務と事務を担当することに。合間にIT関連の調査と改善。仕事は続々やって来る。優先順位が付けられない(発達障害の特性)、仕事が遅れる(発達障害の特性)、上司に怒られる、仕事は増える、優先順位が付けられない(発達障害の特性)、仕事が遅れる(発達障害の特性)、上司に怒られる……。無限ループの果てに自傷行為に走り、通勤不可能になりました。徒歩1分が行けなくなる。またまた、診断書貰って休職。

すると、どんどん闇落ちして自己嫌悪の波に飲み込まれ、遺書をTwitterに残した上で、ODして救急搬送→1泊ICU入院騒動を起こす。

休養するも、前述の借金返済が重くのしかかる。家は色々とあって実家に戻っておりました。「何とか年末だけでも働いて……」と物流センターで7日間働く。少し自信を持って、今度は地方都市のコロナワクチンコールセンターへ。「受電だけだし、そんなにキツくない」と聞いていたのに、3回目のワクチンがモデルナ社製しか無くなったあたりから、雲行きが怪しく。7時間中「ファイザーしか嫌や」「いつになったらファイザー打てるの」「テレビでモデルナ危ないって言ってた」「新聞で……」。この状態になって1週間でノックアウト。普段は7分の自宅最寄り駅まで行くのにが30分かかるようになり、辞めました。

実は物流センターで働いていた辺りから、障害年金受給に向けて動いたり、就労移行支援事業所の事を調べたりで、障害者としての生き方を模索しておりました。そんなこんなで、今日から就労継続支援A型作業所で仕事が出来るようになりました。後は、障害年金が何級か?かな。そもそも受給されるか……不安でいっぱいですが、早く借金を完済するべく、ほでほどに頑張ろうと思います。経験上、頑張りすぎると倒れる。責任感があると倒れる。義務感があっても倒れる。のんびりいきますか……。

これからに向けて

発達障害をもって生まれて、二次障害発症しただけなのに、こんな人生ハードモードになるのおかしくないですか?世の中はアスペルガーでも年収1,000万円とか、発達障害なのに芸術に才能がとか、持ち上げるけど、世の中の発達障害者の大半は何の取り柄もない、生きずらさしか感じていない発達障害民ですよ。診断年齢が下がってきてるけど、今度は障害年金が微々たるものになるという問題があるし、二次障害で生きるのに必死でも、障害年金貰えるかすらわからないし。なんだよ!もっと生きやすくしてくれよ……ほんの少しでいいから!とりあえずは、息子氏が二次障害発症しないように、自分が何とかしないと。自分の事すら必死だけどね。生きることに必死。毎日が必死。っていうか、人生の殆どの期間を必死に行きてるわ!もう少し楽にさせて。死ねば良いのか……そりゃ楽だ。でも、何度死のうにも死ねないんだよ!神はもっと苦労しろとおっしゃっているのか?……地獄だな、こりゃ。

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